溺れ続けたい 

団地生まれ団地育ち
昭和生まれなわたしの
子どもの頃からの密かな楽しみは
壁一面&天井まで届く父の本棚(大工さんに特注で作ってもらった)から
いろんな本を拝借しては
挿絵を眺めることだった。

ビアズレー、米倉斉加年、
名も知らぬいつかの時代の版画家たち。

漆黒と光明
神聖と堕落
えも言われぬ官能

まだ幼い思考では
名付けえぬ感情に喘ぎながら
畳の上で、こたつの中で
遠い世界と融合しては耽溺していた。

同じ頃
図書館で見つけたダリ、マルグリット、ボスの画集。

シュールレアリズムなんて言葉知りもしないその時のわたしにとって
彼らの描く世界はなぜか懐かしく、どこまでもリアルだった。

 

幼いわたしはただ妄想に溺れていたのだろうか?
絵の世界に没頭することは、現実逃避の手段だったのだろうか?

そんな問いを投げかける暇もなく
わたしはいつの間にか「大人」というものになり
「社会」いう名の大海原でサバイブするために
ただひたすらに波を掻き分け手足をバタつかせ続けていた。

いつまで経ってもどこにも辿り着けないけれど
そういや、どこを目指してたんだっけ?

 

痺れたからだをゆるめて
冷え切ったこころを赦して
ただ身を任せてみたら
浮かび上がった風景がある

幼いわたしが旅し続けてきた
曲線と色彩、光と闇。
その感触。その芳香。

 

誰かが求めるわたし
ではなく

社会が認めるわたし
ではなく

わたしが愛するわたし

そこにあった

あの頃のわたし

そこにいた

 

名付けえぬものにこそ
言葉を超えた真実があると

きっと
子どもの頃のわたしは知っていたのだ

そんな小さく偉大なわたしを抱きながらも
相変わらず「大人」というものであるらしいわたしは

無謀にもその「言葉を超えた真実」とやらを
言葉で描いてみたいという欲望に

屈服しよう

決めた

 

Because of the “Power of Libertas”.

 

一枚の絵と向き合う

湧き出てくる「感情」
紡ぎ出される「ことば」

アートを通して自分と対話する
アートを通して誰かと繋がる

深い迷宮に潜り込んで
夢か現かの宝石たちを手にとって愛でるように

アートに投影した自分と対峙し
誰かがそこから紡いだ物語の果汁をひと舐めし
想像と創造のめくるめく渦にダイブする

自分の「命の原点」を思い出し
「命の源流」とひとつになる時間

 

「真実」はひとつだけど、「正解」はない

アートという名の大海をこそ

自由に泳ぎ、浮かび、溺れ続けていたい。

 

 

 

 

感性に火を付け、人生を変える体験。
Power of Libertas. に寄せて。

 

 

愛より愛こめ。

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

お逢いできること、楽しみに。

Copyright 2021 Ai Love Kotoba